コロナ禍のもと、「ソーシャルディスタンス」という言葉が、ニュースから流れない日はないのではないでしょうか?

 

このソーシャルディスタンスについて、面白いと思ったのはメキシコのケースです。

出展:https://coronavirus.gob.mx/multimedia/

出展:https://coronavirus.gob.mx/multimedia/

「ニュース モーニングサテライト」で取り上げられていたのでご存知の方も多いかもしれませんが、メキシコで、この「社会的距離を始めとするコロナ対策」について、皆の理解を深めるのに一役買っているのが、コロナと闘うスーパーガール、スサナ・ディスタンシア (Susana Distancia) です。

「ス(女性名詞) サナ(健康) ディスタンシア(距離)」≒要は、「私たちの健康的な距離」という意味だそうです。

決めのポーズは、両手を広げてウイルスが近づくのをブロック。

最初は、子供向けの情報発信方法として考えられたそうですが、年齢の枠を超えて、浸透度が高いとのこと。サイトにアクセスすると、スサナのイラストをアップしたインスタ画面がたくさん表示されていて、ホントにちょっとした人気キャラクターなんだなと思いました。→詳しくはこちら

 

“中の人”は、メキシコ保健省の人で、日々、コロナに関連するニュースをテレビはもちろん、SNSなどを通じて、情報発信をしているということ。
中南米にもコロナが広がり、死者数が増えているのは悲しいことですが、その中で、政府が国民とこのような形でコミュニケーション・情報受発信を取ってく姿は、「ナッジ」を使った良い例だと感じました。

 

ナッジと(Nudge)いうのは、行動経済学の用語で「軽く肘でつつく」、という意味。

2017年のノーベル経済学賞受賞者のリチャード・セイラー(Richard H. Thaler)の定義によると、
「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を行動予測可能な形で変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素」だそうです。

私が「ナッジ」を他の人に説明するときには、「ヒトの考え方や脳の癖を利用して、ちょっと“くすっとするやり方“や、“なるほどね、こうきたか!”と思わせるやり方で人々の行動を良い方向に導くこと」と言っています。

 

たとえば、行動経済学の本などで良く取り上げられている事例が

・「トイレをきれいに使いましょう」の代わりに、「男子トイレの便器に書かれたハエの絵」

だったり、

・不法投棄の多い場所に「この場所でゴミを捨てるのは禁止されていますと書かれた看板」の代わりに置かれた「お地蔵様」や「鳥居」

などなど。

確かに、押し付けがましくないし、なんだか楽しい。今までのやり方より、よっぽど効果があるように思えます。

 

そういった意味で、スサナの事例は、ナッジを使った事例かどうかは、本来、議論があるのかもしれませんが、私の中では「ナッジ」です。

 

コロナ禍で、働き方のスタイルが変わると、人にも組織にも、良い面だけでなく、“あれっ”と思う面が、見えてきます。

また、「今まで問題だったけれども、触れずに済んでいたこと」にメスを入れなければならない場合も当然のように出てくるでしょう。

 

働き方が大きく変わるからこそ、組織によっては、強く決断力に優れた信長やチェーザレ・ボルジアのようなマネジメントスタイルを待望するところや人もいるのかもしれません。

 

ただ、
「私はいつでも学ぶのにやぶさかでないが、教えられるのをいつも好むわけではない。
(I am always ready to learn but I do not always like being taught.)」

-ウィンストン・チャーチル

このような扱いにくい誇り高き、でも優秀な、“大人の社員”を多数抱えている会社では、仕事に対してプロフェッショナルとしての厳しさがあることは前提なのだから、それ以外のマネジメントの面で、ユーモアの力-“ナッジを上手く使っても良いのではないかと思います。

 

*最近は、世界各国でこのナッジへの取組みや研究が進み、OECD(経済協力開発機構)では、BASIC(ナッジの設計プロセスフロー)に関する情報も公開しています。興味のある方はこちらへ。

 

ナッジは、行動経済学的知見を用いて、人々の行動をより良いものにするように誘導するものですが、その逆に、行動経済学的知見を用いて、人々の行動を私利私欲のために誘導することを、「スラッジSludge(スラッジ=汚泥)」と呼びます(例えば、サブリミナル広告など)。

 

ナッジとスラッジの境目に何があるかというと、それは「倫理観」。

働き方が今までと変わってくると、不安を感じたり、ストレスを感じたり、疑心暗鬼に思うのは当然だと思います。
上司の部下に対するマネジメントスタイルも、評価・報酬を始めとする会社の制度も、これから変わらざるを得ないでしょう。

ただし、人と人としての信頼感や、「倫理観」というのが、結局マネジメントの背骨にあることが大事なんだと、改めてこの時期だからこそ感じています。

ただいま、記事を書いているのは、2020年5月。

コロナウィルスで緊急事態宣言が発令され、普段の生活行動が制限され、いつもと違う毎日を送っている日々です。

こんな事態の最中であっても、自らの危険と隣り合わせに病院などで働かれている皆様、小売りや物流をはじめ、日常の生活インフラを支えてくださる皆様に感謝しつつ、弊社も、2020年5月末の東京での活動自粛期間が終了するまでは、「原則、在宅勤務。出社する場合は、事前に会社に連絡」というスタイルを取っています。

弊社の場合、仕事の特性から、在宅勤務は特に珍しいことでもないのですが、このように在宅勤務期間が長く続くと、さすがに色々、ストレスフルです。

そこで、当社で意識しているのは、「コミュニケーション20%」ルール。

これは、Googleのイノベーションのための20%ルール

-従業員の勤務時間中の20%を、通常の職務を離れて従業員自身が取り組みたいプロジェクトに費やすことができる-

とは異なり、仕事のメンバーと、雑談や、日常的なことについて、話す時間・コミュニケーションのための時間を意識的に労働時間の20%作りましょうという、という社内のスタッフへのお願いです。

他の会社様でも、積極的に雑談時間を持つところが増えてきており、WEB雑談部屋、オンライン飲みなど、色々工夫を凝らされているようですが、当社の場合は、

 
・好きな時に、好きな相手に声をかける。

・カメラON・OFF自由

・当然、自分のタイミングが悪ければ断って良い。

・1日、約1~1.5時間程度が目安。まとめて1週間で帳尻つければ可。

・強制ではなく、お互いのために。

人によって考え方は異なるとは思いますが、私にとっては、朝のコーヒータイム15分とか、3時のおやつ休憩15分とか、生きてます連絡のついでに30分とか、仕事仲間と、ちょっとした雑談時間を持つこと(もちろん、「あれの件」と仕事の話になってしまうこともありますが)、自分の時間管理と合わせて、良い息抜きになっています。

 

なぜ、労働時間の20%なのかというと、サルや霊長類が毛づくろいに費やす時間が、1日の約20%だから。

「毛づくろい」というのは、直接的&肉体的刺激もあって、脳内エンドルフィンの分泌に繋がり、これが、互いの絆を深めることに繋がるそうです。
つまり、脳内エンドルフィンの放出効果で、

・穏やかな脳内麻薬作用による意識の高揚
・気持ちの鎮静効果(リラックス)

が得られるそうです。

霊長類は、「毛づくろい」という時間を共にすることで、信頼関係、愛着形成を生み出し、義務感を伴う協力的な関係作りに繋がると言われています。

だから、当社も、人間にとっての社会的毛づくろいは雑談だから、これを意識してやりましょう、ということ。

社内では、取り入れた理由そのものは不評でしたが、雑談時間を持つこと自体は好評のようです。

皆様の会社では、どのように仕事のスタイル/マネジメントスタイルが変わられたのでしょうか?

仕事の再開を機に、また、アフターコロナ時代のマネジメントの在り方、リサーチの役割など、皆様と議論出来る日が楽しみです。

能力評価や、業績評価のお話をしている時に、いつも、頭に浮かぶのが、「キュウリとブドウ」のお話です。

これは、私が大好きな動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールの2匹のオマキザルの実験の話。

最初、2匹のサルの両方に、「小石を渡すと、大好きなキュウリを交換」というゲームを行います。
この段階では、2匹のサルともに、喜んで、キュウリと交換のゲームを続けます。

そして、途中で、一匹には、今までと同じ「キュウリ」を、もう一匹のパートナーのサルには、サルが大好物の「ブドウ」と交換というようにルールを変えます。

すると、「キュウリ」を貰っていたサルは、もう一匹のパートナーが大好物の「ブドウ」を貰っているのを見た途端に、今までは嬉々としてキュウリとの交換を楽しんでいたのに、怒りだし、苛立ち、大好きなキュウリを投げ出しはじめる、というお話です。

自分の相棒がもっと良いものをもらっているのを目にした結果、普段だったら、大好きな食べ物でさえ、受け入れがたいものに変わる—「不公平嫌悪」という感情は、霊長類の時代まで遡る、ということです。

たとえば、米国・ヘッジファンドで年収●●億円も稼ぐ高給取りが、なぜ、さらに上の給料を求めて、ジョブホッピングするかの心理は、「自分と同等クラスの人間」がより高額の給料をもらっている場合、現在の年収●●億円が、「キュウリ」に見え、自分も「ブドウ」を貰わないと「不公平だ」と思うからです。

本当だったら、「キュウリ」で十分だったはずなのに・・。

 

ただ、この「不公平嫌悪」という感情は、集団が勝ち残る上でとても重要な要素。

もしこの心理が発達しなければ、集団内でフリーライダーが出没・温存され、利他的行動を取るものが少なくなり、集団そのものの存続が危うくなることが指摘されています。

そして、私たちは、約4万5千年前から、この「不公平嫌悪」というセンサーを持っていた人類の子孫です。

 

 

先般、話題となった「ティール組織(フレデリック・ラル―著)」の中で、進化型組織における個人評価は、上司ではなく、「同僚間の話し合いベースに基づいて(ピア・ベース)で決定」という項があります。

このピア・ベースというのは、現実の人事制度では難しい面も多々あると思うのですが、「不公平嫌悪≒だれも抜け駆けせずに、納得感」という、キュウリとブドウの心理を解決する1つの方法なのかもしれません。